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拈華微笑(ねんげみしょう)~心に寄り添う~

拈華微笑(ねんげみしょう)~思考をほどいて、心を寄り添う“微笑み”~

2015年12月15日 • Mind & Heart

「拈華微笑(ねんげみしょう)」という禅語があります。これは、

お釈迦様がたくさんの弟子たちの前で、一言も語らずに一輪の花を差し出した時に弟子たちはその意味を理解できず、黙ったまま何の言葉も出せなかった。その中で唯一、釈尊十大弟子の一人である摩訶迦葉(まかかしょう・マハーカーシャッパ)だけがニッコリと笑った。お釈迦様は、何も語らずともその教えを理解した摩訶迦葉に真理を授け、跡継ぎに指名した。

という故事によるものです。

このようにブッダが以心伝心を重視していたことから、禅の開祖である達磨大師は『不立文字』、『教外別伝』という言葉を残しています。真理は文字では表現しにくく、言葉は解釈する人や時代によって変わってしまうこともあるため、経典に書かれた教えだけでは伝えることが出来ないと考え、文字や言葉によらず心から心に伝わる“いま、その時”のとらわれない、縛られない真の教えを師から弟子へ、または日々の修練で体験・体得していくことを大切にしています。

言葉は大切です。文字から伝わることもたくさんあります。だからこそ、目の前に表れる言葉だけにとらわれず、その向こうに心を向けて真実を感じ取ってみましょう。言葉とともにある瞳や表情、文字の中の行間や語尾に思いを寄せて“背景を感じ取る”こと。

心や気持ちに寄り添うと、無意識に心の響きあいが生じて心が通いあい、言葉を発しなくても思いが伝わったり、理解出来たり、同じことを考えていたり、言葉以上に一つのしぐさやサインが本音を表していたりします。人の心はそんな不思議な力を持ち、心ある者同士は互いにつながりあって生きているのです。

しかし、「わたし」という自我意識が強く、脳が緊張状態にあると、つながれません。意識的に生きているように思えても、私たちはすべて無意識に動かされながら生きているのです。例えば、同じ出来事でも感じ方や受け取り方、反応する感情やそこから発する言葉や行いは人それぞれです。それぞれの蓄えてきた“無意識”が反応するだけなのです。出来事自体はただの“事実”でしかありません。

ヨガや瞑想では、その反応する“無意識”に気づき、受け入れ、ただ認めます。外へ向かう意識や感覚を内側にもどして、知らずに抱えてきた緊張を解放しながら比較や支配や判断を超えた“あるがまま”を観ること。表面的なものだけを見たり受け取る“外側の目”を緩ませて、“内なる目”で見ると優しさ、静けさ、くつろぎ、気づきがもたらされます。

目を柔らかく、目の奥がリラックスして落ち着いていれば、脳も平静で穏やかになります。目が内よりも外ばかりに向いていたら、緊張から過敏になり混乱が生まれ、エネルギーを浪費して、何も理解することが出来ません。緊張は何かに中毒している状態です。歯を食いしばっていると、脳を食いしばって硬直させてしまいます。

目とこめかみをリラックスさせて脳のストレスを解き放ちましょう。あなたがあなた自身にくつろぎ、安らぎ、満たされることから“気づき”の力が生まれます。自分自身と闘ったり、ケンカをすることなく、寄り添い、つながることで、余分な自我が無くなり、相手や周囲と調和していきます。

何はなくとも、微笑んでみる。楽しいとき、嬉しいとき、悲しいとき、寂しいとき、苦しいとき……とりあえず、にっこり笑ってみる。その背景には、いつも優しさや愛情が必ずありますから。そのことに気づけます。だから、どんな時でも微笑みで向き合ってみる。心に寄り添ってみましょう。相手に対しても、自分自身に対しても。あれこれ色々と意味を考え過ぎず、あまり深刻にならずに、いつでも微笑を。

参照文献:
・大田由紀江著 『イチから知りたい!仏教の本』 (西東社)
・枡野俊明著 『禅、シンプル生活のすすめ』 (三笠書房)
・境野勝悟著 『心がスーッと晴れる一日禅語』 (三笠書房)
・B・K・Sアイアンガー著『アイアンガー心のヨガ』(白揚社)


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