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世界で異なる「迷惑」の捉え方と「お互い様」の精神

世界で異なる「迷惑」の捉え方と「お互い様」の精神

2013年7月22日 • Mind & Heart

「人様に迷惑をかけないこと」と教えられて育ったせいか、気づいたら人に迷惑をかけることを極端に嫌うようになっていました。そして迷惑をかけないことばかりを気にしていたせいか、必要な時でさえ消極的になってしまう、人に頼ることができなくなる、自分の感情を抑制してしまう、などのよくない癖がついていました。

でもそんな私がメルティングポットであるアメリカへ留学して知ったのは、国によって「迷惑」に対して様々な考え方があるということ。

日本人には仏教の「自分がされて嫌なことを、他人にしない」という考え方が浸透しているのに対し、多くのアメリカ人にはキリスト教の「自分がされて嬉しいことを、他人にする」(” Do unto others as you would have them do unto you.”)という正反対の考え方が浸透しています。だから、そんなアメリカ人の迷惑に対する考え方も日本とは正反対で、基本的に「迷惑をかけるのはお互い様だから仕方ない」というスタンス。インド人の考え方もこれに似ていて、「自分も人に迷惑をかけて生きているのだから、人のことを許してあげなさい」と親が子供に教えるそう。

こんな目から鱗の考え方に触れて、文化や思想の違いをとても面白く思いましたが、実は仏教に、この考え方に通ずる「忍辱(にんにく)」という智慧がありました。

「忍辱」とは耐え忍ぶという意味。とは言っても、全てに対して我慢する、という意味とは少し違っていて、人は他人に迷惑をかけずに生きるのは難しいのだから、自分が他人に迷惑をかける存在であるということを自覚すること。そうすれば自分の迷惑を申し訳なく思う心だけでなく、他人の迷惑を許す心が自然と芽生えてくる、というもの。

人に迷惑をかけることを嫌がるばかりに、私は人に迷惑をかけられることに対しての寛容さを失っていたかもしれません。でも、アメリカ人、インド人、そして忍辱が教えてくれた持ちつ持たれつの精神で、迷惑をかけられた時もお互いさまと考えたほうが寛容になれてお互いがうまく共存できるのかもしれない、そして自分自身がずっとオープンマインドで自由に生きられるのかもしれない、ふとそう思いました。


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