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日々、丁寧に心を込めて生きることは、自分を大切にすること

日々、丁寧に心を込めて生きることは、自分を大切にすること

2015年9月24日 • Mind & Heart

ヨガでは、私たち一人一人の中に“小宇宙”があり、果てなく広がる“大宇宙”とつながっていると考えます。これは、自分の“本質”は“神”と同じものであると知ること。太陽礼拝から始まるヨガは“祈り”であり、外へだけではなく、自分の中にある神聖なものにも向かっているのです。

曹洞宗の開祖である道元禅師は座禅修行をする上で大切なことは何か?を問われた時、「仏になろうと求めないこと。座禅をすることが仏を行うことであり、座禅をしている人が仏であるから。」と答えました。また、「修行」も「悟り」も同一のものであるとし、「人は生まれながらに仏なのだから、修行は仏の行為であり、悟りそのものである」と伝えられています。

道元禅師の禅語『行住坐臥』とは、日々行うこと、暮らすこと、座ること、寝ることのすべてが禅の修行であり、日常生活のすべてが重要な修行とされています。座禅や読経だけではなく、食事、入浴、掃除などの労働や作業でも、座禅の精神を日常生活にて実践していきます。ひとつひとつのことをおろそかにせずに大切に行う、これは自分自身を大切に扱うことであり、周囲に対しても同じように接することが出来ます。適当にこなしていけば、その足跡は適当の寄せ集めであり、向かう先もそうなるのです。

禅寺の玄関によく掲げられている言葉、『脚下照顧』履物をそろえ、謙虚な気持ちで寺に入りなさい、という標語にもなっています。

玄関から上がるとき、靴は乱れていないでしょうか。玄関のその先に心を向けず、今この瞬間の自分の足元を照らしましょう。ひとつひとつの自分の行いに、心をこめて丁寧に向き合うと、色んなことに気がつけるようになります。自分自身の足元が見えていない人は、自分自身が見えていない、人生の行く先も見えていないということです。他に向かって悟りを追求せず、まず自分の本性を見つめること。

履き物をそろえると心もそろう、心がそろうと履き物もそろう、脱ぐ時にそろえておくと、履く時に心が乱れない、誰かが乱しておいたら、黙ってそろえておいてあげましょう。履き物から分かる誰かの心のザワザワを整えるお手伝いができたという奉仕の心に自分も気持ち良くなるでしょう。

毎日の生活でも同じこと。立ち止まってゆっくり深呼吸をしてみると、自分や周りの人のことがよく見えてきます。乱れない心、迷わない心を整えて、本来の自己に向かいます。靴をそろえておくと、次に踏み出す一歩がスッと出るようになりますから。

禅問答と呼ばれる“公案”の中にある、『趙州洗鉢(じょうしゅうせんばつ)』

趙州禅師のところに入門したばかりの僧がやってきて「新米の私に、仏の道を教えてください」と言った。
趙州禅師:「朝の食事は済ませたか?」
僧:「はい、いただきました」
趙州禅師:「では、その茶碗を洗いなさい」
僧は、その言葉で悟った。まず、自分のやるべきことをきちんとやること。当たり前のことの中に真実があり、日々の生活こそが悟りへの道である、という教えです。

自分の内側に完全に集中していくヨガの練習では、外側へ向かってバラバラになっていた心と体と意識がひとつになり、我が無くなり、自分の本質につながっていく調和によって、静けさと穏やかさと平安に満たされていきます。マット以外でもヨガをすること……日々、一瞬一瞬に心を込めて、丁寧に生きる。

私たちは皆、尊いのです。それを知り、自らの行いが尊いものでありますように。そして、接する人や触れるもの、見るものすべてが尊いもので、感謝できますように。

参考文献
『道元さま/おべんきょう禅のことば』 大本山永平寺
大田由紀江著 『イチから知りたい!仏教の本』 (西東社)
枡野俊明著 『禅、シンプル生活のすすめ』 (三笠書房)
植西聰著 『「いいこと」がいっぱい起こる!禅の言葉』 (王様文庫)


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