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萩、紫福にて -偶然出会った隠れキリシタンの里-

萩、紫福にて -偶然出会った隠れキリシタンの里-

2017年3月1日 • Travel

日本列島北から西まで、日本海側が強い低気圧に見舞われた極寒の週末に訪れたのは山口県、萩。江戸時代には鎌倉時代からの士族・毛利氏が治める長州藩の本拠地として栄え、また幕末には吉田松蔭が松下村塾を開き、木戸孝充、高杉晋作など歴史の教科書に名を連ねる時の人々が暮らしていた街でもあります。

そんな歴史ロマンに彩られる萩の街をゆっくりと闊歩し、萩焼きの工房でも訪ねながらのんびりと萩観光を楽しむ予定だったのですが、あいにくの風雨と強烈な寒さに萩散策は小一時間ほどであっけなく断念。

そそくさと暖房が効いた車に乗り込み、レンタカー屋さんにもらった地図を眺めていると、目に留まったのは“隠れキリシタン”の文字。隠れキリシタンと聞くと、天草や長崎、その先の五島列島の話と思っていましたが、考えてみれば九州はすぐ目と鼻の先。この地にも当時キリスト教信徒がいたというのは、地理的・物理的条件から考えるとすごく当たり前のこと。なんとなく興味を覚え、惹かれるまま訪ねてみることにしたのです。

萩の街から山道を抜け、車を走らせること40分。辿りついたのは紫福(しぶき)という四方を山々に囲まれた山あいの里です。行き交う車の姿はほとんどなく、県道沿いに田んぼが広がり、その奥に小さな集落が点在する静かな農村地帯。看板の案内に沿って、民家の軒を抜け裏山へ続く細い山道を登っていくと、現れたのはそこだけぽつんと抜けたような空間。大きくひしめき合いながら枝を伸ばす木々の緑に守られて、里山を荒らす風もここまでは届かないのか、不思議と丸い踊り場のような空間が森の中に浮かんでいるのです。

萩、紫福にて -偶然出会った隠れキリシタンの里-

岩板を背景に並ぶ幾多の墓碑は、苔むしり、降り積もる時空の粒子を身にまとったかのよう。墓碑を見守るように建てられた十字架だけが、妙にくっきりと山の中で陰影を放ち、時折はらはらと舞落ちる小雪が一層の静寂を運んでくるかのようでした。

数百年の時を経て、山深い里に眠る信仰の碑

日本にキリスト教が伝わったのが1549年。家康によるキリスト教禁止令が発布されたのが1616年。そして、その後幕末の時を経てようやく禁教令が解かれたのは1873年のことです。幕府の禁令以降、逃れるようにこの地に移り住んできた信徒たちは、山中で“至福”の時を待ち静かに暮らしていた、と萩市の文献に残ります。単純に数字の上での計算で、禁教時代は262年。当時の寿命を考えると、それはほとんど永遠といってもいいような時間だったのではないでしょうか。

萩、紫福にて -偶然出会った隠れキリシタンの里-一説によると、紫福という地名はキリシタンたちが語る“至福”がなまりいつのまにか“紫福”となったとか。この祈念地は長い間風雪にさらされ放置されていたキリシタンの墓を集め、1999年に整備されたもので、紫福エリアには他にも隠れキリシタンの遺物が点在し、聖母マリアに見立てた観音像や十字を象った家紋が入った墓などを見ることができます。

ちなみに、隠れキリシタンの歴史は1873年で終わったものと思われがちですが、禁令が解かれたあとも秘教形態を守り、カトリック教会に戻らず独自の信仰を継承している人々も少なくないそうです。

思いがけず、普段あまり焦点の当てられることのない歴史の一面に触れる萩の旅となったのでした。

Photo: Mayu Kobayashi

  • 山口県萩市紫福の位置


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