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「キューバ人に習う、制約条件の中で輝く生き方 〜コンパイ・セグンド〜」

キューバ人に習う、制約条件の中で輝く生き方 〜コンパイ・セグンド〜

2016年8月5日 • Lifestyle, Travel

みなさんにとって、これがなければ生きていけないと思うものって何でしょうか? 好きな食べ物、恋人、お金、思い出など、それぞれに大切なものがあると思います。

衣・食・住、そして音楽

カリブに浮かぶラテンの島、キューバ。この国の人びとにとって、衣食住に匹敵するくらい大切なものがあります。街角から、家の中から、車から、キューバのどこへ行っても溢れているもの。そう、音楽です。

制約条件が人を育てる

私たちが持つラテンのイメージそのままに、明るく陽気に振る舞うキューバの人びと。しかし、キューバは言わずと知れた社会主義国。実際の彼らの心の葛藤をうかがい知ることは容易ではありません。

月12ドルほどの給料、食料配給制度、インターネット利用の制限など。我々日本人が経験している当たり前の自由さが制限されている社会で、窮屈とも言えるたくさんの制約条件の中で生活しています。

国と自らの人生の葛藤を胸に抱いたまま、この国を去って行くキューバ人も後を絶ちません。私が以前滞在していたホームステイ先の家族も、今年その一例となりました。

口に出せない彼らの心の葛藤を内包しながら、それでも彼らが笑顔でいる理由。それは、“あるものに感謝すること”。

「今日は天気が良くて幸せ。子供の顔が見られて幸せ。あの人が楽しそうで幸せ」

制約された狭い世界の中で生きているからこそ、その環境でどう幸せに生きていくかを身につけた結果でしょう。幸せとは、当たり前のことにありがとうと言えることだと、彼らは教えてくれます。そして音楽は、無条件に彼らを笑顔にしてくれるありがたいものなのです。

苦しんだ時間はその人の魅力になる

キューバを代表する世界的なミュージシャンといえば、葉巻にパナマ帽がトレードマークのこの人、コンパイ・セグンド(本名フランシスコ・レピラード)でしょう。まさにキューバ人のイメージをそのまま背負っていると言ってもよい彼ですが、その人生は国と時代に翻弄されたものでした。

1907年日本が日露戦争をしている頃、キューバの東部山間部にあるシボネイに生まれたコンパイ・セグンド。10代の頃から音楽制作を始め、15歳から音楽活動を始めます。しかし、1959年に起こったキューバ革命が彼の運命を変えてしまいました。彼が作った音楽は資本主義の遺物とみなされ、表舞台から姿を消していきます。

葉巻屋で働きながらも、音楽を止めなかったコンパイ・セグンド。彼が再び音楽の表舞台に立つことになったのは、彼が82歳になった時でした。そして、90歳でのブレイク。1997年にはグラミー賞を受賞し、さらにバンド活動を描いた映画“Buena vista social club”ブエナビスタ・ソシアル・クルブが世界的にヒットし、彼自身は世界的なスターとなりました。

「私の人生にも花が咲きました。

誰にでも人生の花が咲くチャンスはあるんです。

それは仕事かもしれないし恋愛かもしれない。

遅かれ早かれ誰のもとにも来るんです。

私はもう老人ですが、ようやく花が届きました」

キューバ人にとって音楽は、制限された生活環境の中で、心の葛藤を昇華してくれるものであり、歌にのせて胸の内を代弁してくれるものでもあります。彼らにとっての音楽の価値とは、生きることと共にあるのです。

今日も街のどこかでコンパイ・セグンドの歌が誰かの耳に届く。彼の音楽は彼の人生そのものとなって、今なおキューバ人に希望と夢を与え続けています。

Photo:ERIKO

「キューバ人に習う、制約条件の中で輝く生き方 〜コンパイ・セグンド〜」

 

 

 

 


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