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いつも心に青空を

いつも心に青空を

2015年7月27日 • Mind & Heart

私たちは家族やたくさんの人との出会いから“個性”が創られていきます。喜怒哀楽という春夏秋冬を経験しながら豊かに実っていきます。人生の四季を楽しみ味わい、すべてを受け入れながら手放していくエネルギーの循環をいつも感じていたいものです。

ヨガや禅では「ありのまま」に物事をとらえ、観ることで、先入観やとらわれのない自由な心で生きることを教えてくれます。今ある環境で心軽やかに生きる。あたり前に身につけてきた「わたし」という自我に気づき、手放し、超えて…「無心」「無我」といったニュートラルな状態で本質を観ること。

ダルマ人形のもとになった達磨大師は「ただ心を一点の曇りもない、澄み渡った状態に保つこと。大切なのは、知識よりも、心の持ち方である」と教えています 。思い込みや雑念、執着から解放された時、本来誰もが持っている無限のエネルギーが光を放ち、毎日が輝きます。広く大きな晴れ渡る青空のように。

趙州禅師の有名な禅語である【 喫茶去(きっさこ) 】

ある日、訪問されて来た和尚に趙州和尚は「以前に来たことはあるか?」と問い、和尚が「はい」と答えると、趙州和尚は「喫茶去(お茶でも召し上がれ)」と言った。

またある別の僧も「以前に来たことはあるか?」と問われ、「いいえ」と答えると、和尚は「喫茶去(お茶でも召し上がれ)」と言った。

これを見ていた寺院の主人が趙州和尚に聞きました。「どうして来たことがあっても喫茶去、来たことがなくても喫茶去なんですか?」

趙州和尚は主人の名を呼び、「喫茶去」と言った。

どんな者にも「お茶でもどうぞ」とさらりと言った趙州和尚の境地。来たことがあってもなくても、関係問わず、身分や年齢を問わず、お茶を差し出す。そこに「居る」ことに理屈や条件はなく、我と他の差別がない一体感。役割、地位、貧富、男女、自他、過去・現在…あちら・こちらと分かつ一切の意識を断ち切った分け隔ての無い“無心”を表す「喫茶去」。

日々、私たちにおいても、“喫茶去”ですね。生きていると、好き嫌い、損得、敵か味方か、肩書き・立場・価値観や年齢による接し方をしてしまいがちです。先入観なく、誰に対しても分け隔て無く、真心から接することは自我を超えた調和力です。

いろいろな条件や背景もすべて通り越して、純粋に同じ時間を過ごすこと。何かを話さなくても、微笑みを向けて、心が寄り添って呼吸が合っていく。物質的ではない部分で無条件につながっていく気持ち良さに満たされていく。

空気や酸素は目に見えないけれど、私たちにいつも平等に惜しみなく与えられています。本当に大切なものは、目には見えない。私たちの心の中では日々、風が吹いたり、曇ったり雨が降ったり、時には雷や嵐が起こるかもしれない。沸き起こる感情は自然現象です。しかし、いつもその上には太陽があることを忘れないでいて欲しいのです。雨で浄化された後は気持ちの良い晴天ですから。天候に振り回されることなく、太陽の輝きを広げられるように。

そして、空は大きく広くつながっていると感じながら生きていきましょう。あらゆる空とつながる。そこには条件は無いのです。様々な空模様があっても、つながっている。そう感じながら心はいつも青空でいましょうね。

参考文献:
・植西聰著 『「いいこと」がいっぱい起こる!禅の言葉』 (三笠書房)
・境野勝悟著「心がスーッと晴れる一日禅語」  (三笠書房)
・大田由紀江著 「イチから知りたい!仏教の本」 (西東社)


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